
東日本大震災の発生から1年が過ぎました。
震災に際して、さまざまな方面から数多くのご支援をいただきましたこと、この場をもちまして改めて御礼申し上げます。
かの大災害は各地に大きな被害をもたらし、その爪痕は今もなお深く残されています。医療法人医徳会では全てのグループ施設が被災し、スタッフもまた被災者となりました。
真壁病院では停電や断水に加えて、電話も不通となり、さらに誰も予想しなかった規模の津波が押し寄せました。その水位は床下に留まったものの、周囲は水と泥に阻まれました。主な設備ではMRI、浄化槽、冷暖房装置に深刻なダメージを残した他、地下倉庫では棚が倒壊し、浸水しました。
さつき苑は津波被害こそ無かったものの、やはりライフラインは分断され、さらに自家発電装置の故障、敷地の一部沈下・亀裂など深刻なダメージを残しました。
歌津つつじ苑でも直接の津波被害はありませんでしたが、周知の通り南三陸町が津波により壊滅状態となり、ライフラインや道路を含む交通網が絶たれて陸の孤島となりました。地震の影響により、敷地内一部地盤沈下、フロア天井一部落下、浄化槽破損などの被害があり、飲用可能な水道の復旧には5カ月を要しました。
さつき苑・歌津つつじ苑ともに、日ごと避難者が増え、多いときは200人を超えることもありました。
宮戸クリニックには津波が来ましたが、浸水は床上数センチに留まりました。しかし、宮戸の他の地域は津波で壊滅状態になった上、宮戸に向かう唯一の橋が崩落し通行不可となりました。地盤沈下のためか、現在も冠水し通行できない道路があります。
法人全体では、職員1名、職員家族26名(不明者含む)が犠牲となった他、家屋の全壊・半壊は52件、また法人で使用している車や、職員の通勤の要である自家用車の破損は合計で120台以上にのぼるなど、甚大な被害になりました。
スタッフは震災当日から、自分の家族、同僚、知人の安否や自宅の状況が分からない中、過酷な条件下で対応に当たりました。真壁病院では入院患者様の安全確保や外来診療、一時避難住民の受け入れ、さつき苑・歌津つつじ苑では入所者の方々の安全確保、ならびに被災された地域住民の受け入れなど、職員一丸となり無我夢中で奔走した日々でした。
泊まり込みで連日勤務した職員、道路が寸断された中を長時間かけて徒歩で出勤した職員、何とかガソリンを調達し駆けつけてくれた職員、何より業務を優先してくれた職員全員の働きにより、被災された方々、急病の患者様の診療や、入所中の皆様のケアを行うことができました。
こうして医徳会スタッフが災害時医療・介護に邁進することができたのは、東松島市・南三陸町の行政の皆様、自衛隊の皆様、全国各地の水道局や電力会社の皆様、取引企業の皆様、他の病院や医療関連企業の皆様、NPO法人の皆様、および全国の皆様方からのあたたかいご支援のおかげです。職員一同、心より感謝しております。本当にありがとうございました。
時間が経過し近隣の街の状況も変わり始め、復旧・復興の言葉も聞こえますが、まだまだ手付かずの地域や施設、大量の震災ガレキも残されております。JRも仙石線・石巻線・気仙沼線が完全復旧するには長い年月を要します。残念ながら、当法人の損害もまだ100%復旧には至っておりません。今後、経済や生活環境はさらに変化し、職員のみならず、患者様・利用者様にとっても、生活面や精神面に影響が生じてくるものと思われます。
長い道のりですが、地域社会に貢献するという法人の理念のもと、医療・介護従事者としてのプライドを持ち、この震災を乗り越えなければなりません。皆様のあたたかいご支援や励ましのお言葉に応えるためにも、環境を整えながら、これからも地域医療・介護福祉に微力ながら貢献していく所存でございます。
今後もどうぞよろしくお願いいたします。
平成24年3月
医療法人医徳会